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12、冠婚葬祭のマナー

12、冠婚葬祭のマナー

冠婚葬祭(通過儀礼)は、「元服」「婚礼」「葬儀」「祖先の祭礼」という古くから伝わる4つの儀式をまとめて称したものです。

◎「冠」は人生の節目のお祝い

  
 ▶️奈良時代から行われている男子成人の儀式「元服」で冠をかぶせてお祝いしたこと(加冠の儀)にちなみ、
人生の節目に当たるお祝い事を「冠」と表現します。
現代では七五三・成人式・還暦が「冠」です。出産や叙勲・褒賞も「冠」に当たるお祝い事です。


①帯祝い

    生命の誕生を喜ぶ儀礼。妊娠5か月目の戌の日に「岩田帯」と言われる腹帯を巻く。
多産でお産が軽い犬にあやかり安産を祈るもの。


②お七夜

    赤ちゃんが誕生してから七日目を言い、この日に命名式を行う。
赤ちゃんの名前と生年月日を書いた紙を、一か月ほど神棚や床の間など家の目立つところに飾ります。


③お宮参り

    赤ちゃんの成長と幸せを祈る儀式で、土地の守り神である「産土神(氏神と同様)」に参拝し、
となったことの挨拶を行います。生後一か月目あたりに行う。
参拝の際、赤ちゃんに白羽二重の内着を着せて抱き、その上から祝い着をかけ、
赤ちゃんを抱く人の首の後ろで紐を結びます。父方の祖母が多いようですが、これは昔出血を伴う
出産を穢れとしたためで、お宮参りはその「忌み明け」の行事として母親の穢れを祓う意味合いがあった。


④お食い初め

    一生食べ物に困らないようにという願いを込めて、生後百日目に行う儀式。
「箸祝い」「箸初め」「百日(ももか)の祝い」とも言う。


⑤初節句

    生後初めて迎える節句で、女の子は三月三日の「桃の節句」、男の子は五月五日の「端午の節句」です。
女の子には雛人形、男の子には鎧やかぶとなどの節句飾りを贈って、初節句を祝います。


⑥初誕生

    両親と両家が集まって、一歳の誕生日をお祝いする。健康に育つようにとの願いを込めてお祝いに餅をつき、
足腰が丈夫になるようにとの願いを込めて「誕生餅」として子供に背負わせて歩かせたり、
足で踏ませたりします。


⑦厄年

   男性は数え年で二十五歳と四十二歳、女性は十九歳と三十三歳を厄年と言います。
特に男性の四十二歳と女性の三十三歳を「本厄」あるいは「大厄」、その前後を「前厄」「後厄」と言って、
身を慎むべき期間とされています。厄払いの儀式として、神社で祈祷を受けたり、
神事に参加したりし、厄落しをします。


⑧年祝い

長寿の祝いのことを「年祝い」「賀寿」などと呼びます。
かつては数え年で祝われていましたが、最近は満年齢の誕生日か、あるいはその前後の休日など、
親族が集まりやすい日を選んで行われることが多いようです。
還暦 61歳昔の暦では、通常知られる十二支(干支)と、十干(※1)を組み合わせた十干十二支があり、この組み合わせが60年で一巡するため61年目に生まれた年と同じ「暦」に「還る」ことを還暦と言う。新しい生まれ変わりといて祝うもので、赤ちゃんに戻るという意味で、「赤いちゃんちゃんこ」や「赤いずきん」を贈る風習が生まれたとされる。
古稀 70歳中国の詩人、杜甫の詩の一節にある「人生七十、古来稀ナリ」に由来し、昔は元気で70歳を迎えることはまれだった。
喜寿 77歳「喜」という字を草書体で書くと、七を重ねた「」という字になることから
傘寿 80歳傘寿の略字は「仐」と書き、八十と読めるところから
米寿 88歳「米」の字を分解すると、八と十と八になることから。
卒寿 90歳「卒」の略字は「卆」と書き、九十と読めることから
白寿 99歳百の字から一を引くと「白」になることから
百寿 100歳「百賀の祝い」と言い、これ以降は毎年祝う
<賀寿の名称>

※1  十干とは、「甲(きのえ)」「乙(きのと)」「丙(ひのえ)」「丁(ひのと)」「戊(つちのえ)」「己(つちのと)」
       「庚(かのえ)」「辛(かのと)」「壬(みずのえ)」「癸(みずのと)」の総称。

◎出産祝い

出産祝いを贈る時期としては、昔は「お七夜」の日に出産祝いを持参したものですが、最近は病院で出産するケースが多く、


産婦の疲れが取れる退院二~三週間後頃に持参するか、郵送で送ります。

一般に、生後一か月後にするお宮参りの際に出産祝いのお返しをするのでそれまでに贈り、遅くならないようにした方がよいでしょう。

ベビー服やベビー用品に人気がありますが、新生児用の産着や育児用品は出産前に揃えている場合が多いので、


あらかじめ希望を聞いてから贈り物を選んでも失礼ではありません。

品物には掛け紙をかけます。

表書きは「御祝」「御出産祝」などとして、水引は紅白の蝶結びです。

出産祝いをいただいたら、お宮参りの前後に記念の品などを贈ります。


これを「内祝い」と言います。表書きは「内祝」とし、赤ちゃんの名前を入れた掛け紙をかけます。
 親類知人・友人
幼稚園・保育園3千円~1万円2千~1万円
小学校5千~2万円3千~1万円
中学校5千~2万円3千~1万円
高校1万~2万円5千~1万円
大学・短大1万~2万円1万~2万円
◎七五三のお祝い

七五三は、男の子が三歳と五歳、女の子は三歳と七歳の、十一月十五日に氏神様に参詣します。


参詣の日は、その前後の休日が多いようです。

本来は氏神様に詣でるべきですが、神社などに参拝してもかまいません。


お祓いを受け、祝詞を上げてもらう時は、事前に社務所に申し込み、

「初穂料」「御玉串料」などと表書きしたお礼を祝儀袋に包みます。


参拝だけですませる場合は、普通の参拝と同じように、二礼二拍手一礼でお参りします。


◎入園・入学祝い

入園や入学は、子どもが新しい社会生活を始める大切な節目なので、成長を祝います。

お祝いを贈るのは祖父母や親戚など、ごく親しい間柄に限られます。

お祝いの品物は、学用品、知育玩具、本、時計などが一般的ですが、贈り物が重複しないように


前もって希望を聞いてから送るのもよいでしょう。


卒業と入学が重なる場合は「進学祝い」とするのが一般的で、特に希望していた学校に合格したような場合は、

「祝合格」「合格御祝」などとした方が喜びも増します。

お返しは、身内のお祝いなので、特にお返しをする必要はありませんが、できれば本人から直接、お礼の言葉があるとよいでしょう。


送り先20代30代40代50代
兄弟・姉妹1万~2万円1万~2万円3万円程度3万円程度
親戚5千~1万円7千~1万円1万~1万5千円2万~3万円
友人・知人5千~1万円5千~1万円5千~1万円5千~1万円
隣・近所3千円程度3千円程度5千~1万円7千~1万円
<出産祝いの相場>(参考)
◎その他のお祝い事としては、新築祝い、開店開業祝い、成人・就職祝い。結婚記念日、昇進・栄転・退職祝いなどがあります。



◎「婚」、結婚・結納

▶️ 婚約は、法的な決まりはなく、結婚の意思を固めた当人同士による口約束だけで成立し、文書を交わす必要もありません。


   だからこそ、きちんと形式に則ることが大事です。婚約を成立させるためには次のようなものがあります。

①婚約記念品を交換する

②婚約通知状を知人などにだす


③婚約式・婚約疲労パーティーなどを開く



④「結納」を交わす(納める)


  結納の日に結婚の日取りを正式に決定すれば婚約が成立したとみなされます。



  関東では結納を「交わす」というように往復型で、男女双方で同品目の結納品を用意し、

  男性からは結納金(帯料)を、女性からはその半額(袴料)を同じ日に好感します。


  関西では「納める」と言い、片道型の結納が昔からの慣習で、主に男性が結納品を贈り、

  女性が後日袴料を男性に収めるか、全く納めないこともあります。


  双方で取り交わす結納品として使われる代表的な縁起物は、


  「目録」 : 結納品の品目や数を記したもの。


  「長熨斗」 : 熨斗は本来、海産物の中でも貴重なあわびを叩いて長く伸ばしたもの。長寿の願いが込められている。


  「金包」 : 結納金を包んだもので、男性からは「御帯料」、女性からは「御袴料」と書いて同日交換する。


  「松魚節」 : 「勝男武士」とも書き、男性の強さを象徴したもの。


  「寿留女」 : 「幾久しい」という意味があり、女性を象徴している。


  「子生婦」 : 繁殖力の強い昆布にあやかり「子宝に恵まれる」という意味と、「よろこぶ」の語呂合わせ


  「友志良賀」 : 白い麻糸の束で、「ともに白髪になるまで仲睦まじく」という意味。


  「末広」 : 純白の扇子で、「純白無垢」であることと、「末広がり」の形のめでたさを表す。


  「家内喜多留」: 福が多いことを願った祝い酒。昔は酒樽だったが、今では「樽料」と書いた現金を包む。




 ⑤結納品の目録と受書


  結納品の受け渡しには、目録、受書を付けます。


  セットで売られている場合はすでに印刷されているものが入っていることが多いいです。

  目録の一行目には「御帯料壱封」(女性は「御袴料壱封」)などと記入し、金額は目録には書き入れられず、金包に書き込みます。


  品物の場合は、「真珠指輪壱個」「背広壱着」などと品名を書きます。

  最後に日付、氏名、相手の氏名を書き入れます。

  受書には受け取った品、日付、氏名、相手の氏名を書き入れます。


  事前に打ち合わせをして、当日は中を改めず渡すことが多いです。




▶️ 結婚式のマナー

  ①神前結婚式

   神社などの神前にて祝詞奏上、三々九度、玉串奉奠、親族盃の儀などが行われます。


  ②キリスト教結婚式

   讃美歌(聖歌)斉唱、聖書の朗読後、結婚の誓約が行われます。

   カトリック式とプロテスタント式など、宗派や教会によってもしきたりが異なる場合があります。

   プロテスタントは、結婚は二人の愛情によって成立し、神と多くの人から祝福されるべきものと考えられていますが、
   
   カトリックは神の定めによるものとし、厳粛な儀式が特徴です。

   カトリックの協会は原則として信者以外の結婚式は認めていないため、日本ではプロテスタント式で行われることが多いようです。


  ③仏前結婚式

   一般的ではありませんが,その厳粛さがかえって新鮮に感じられるようです。

   一般には両家と同じ宗派の寺院や新郎の菩提寺で行われ、

   式次第に従って仏前に供えた数珠が新郎新婦に授与され。結婚を誓います。


  ④人前結婚式

   参列者を承認として二人で用意した結婚を誓う文章を読み上げたり。
   皆の前で婚姻届けに記入するなど、形式にとらわれない自分たちならではの個性的な式を上げることができます。


  ⑤海外ウエディング

   新婚旅行を兼ねて二人で海外に行って指揮を挙げる場合と、親族なども招待して行う場合があります。
   
   旅行会社が企画するツアーに申し込めば、事前の準備などを業者に任せられるので安心な反面、

   ツアーなのである程度の制約が生じます。

   個人的に現地で交渉すれば、好きな国の好きな協会で挙げられますが、現地の情報収集や交渉まで

   すべて自分たちでしなくてはなりません。

   先に入籍していないと、教会で式を開けることができない国が多く、特にヨーロッパ領の南太平洋地域では婚姻届けを

   出したことを証明する書類が必要です。日本の市町村役場で「婚姻届受理証明書」を発行してもらい、現地の公用語に翻訳します。




▶️ 結婚式・披露宴の準備


  出結婚式の日取りが決まったら、式場を選んで予約をします。

  人気の式場は大安吉日や土日は予約がいっぱいになることが多く、早めに下見に行くようにした方がよいです。


  協会や神社で挙式をし、披露宴会場が別の場合は、なるべく近くの場所がいいでしょう。



  披露宴会場は、出席予定人数よりも少し広めのところを選びます。


  家と家の結びつきを重視し、本人の友人よりも親の知人や取引先の人などを多く招いていた昔とは違い、


  今はあくまでも本人達の交友関係を中心に招待客を決める傾向にあります。



  招待客の人数は、両家の都合や状況で話し合って決めますが、ほぼ同数にするのが理想です。


  また披露宴の雰囲気を考えると、友人中心か、親戚中心か、仕事関係の人も招くかなど、


  どのような範囲の人を招くかなども揃えるようにしたいものです。




 ※結婚式と披露宴は別の意味を持ちます。


  結婚式は二人の結婚の意思を確認し、婚姻関係をスタートさせる儀式で、参列者は一般に両家の親族が中心となります。
  

  披露宴は、結婚を祝い、親族や友人・知人に披露するためのしきたりで、本人や両家が主催者となり、
  友人・知人を招いて行われます。
  

  それぞれの意義を意識し、二人の門出にふさわしく、思い出深いものになるようにしたいものです。




▶️ 服装のルール

  新婦の衣装は、教会で挙式する時はウエディングドレス、神前式なら白無垢や打ち掛けが一般的です。

  服装を合わせて新郎は、教会ならモーニングコートや燕尾服、神式なら五つ紋付の羽織に袴となります。

  挙式と披露宴を同日に行うなら、それぞれ洋装、和装でお色直しをすることがあります。



  ①洋装の場合
   
   現在のような白のウエディングドレスが広まったのは、西洋でも最近のことです。

   ドレスに限らず、小物まですべて白で統一するのが一般的です。

   神の前で肌を露出することは古今東西のタブーなので、挙式は胸や肩、腕を隠した衣装にします。

   特にルールに厳しい協会では、肌を露出した衣装では挙式を断られることがあります。

   新郎は、昼はモーニングコート、夜は燕尾服かタキシードです。


   いずれも黒が正式ですが、最近は白やシルバーなどの色や、デザインも個性的になってきました。


  ②和装の場合

   挙式の白無垢は、ウエディングドレス同様、打ち掛けから帯、下着まですべて白で統一します。

   
   頭には、角隠しか絹帽子をかぶります。

   色打ち掛けは、挙式にもふさわしく、鶴や亀、末広などのおめでたい柄をあしらった華やかなものです。

   挙式には角隠しをし、披露宴でははずします。
   
   披露宴が夕方なら、緞子縮緬(どんすちりめん)などの光沢のある布地に金銀の刺繍を

   あしらった豪華なものを選びましょう。ちなみに、

   昭和三〇年代頃までは黒地の大振袖で、打ち掛けのように裾をひく花嫁衣裳が

   人気だったようなので、和装の流行も変わるようです。


  ③親族の服装

   親族は、和装・洋装どちらでもかまいませんが、両親や祖父母は、新郎新婦や媒酌人と格を揃えます。

   
   具体的には、女性は洋装ならイブニングドレス、和装なら五つ紋付の留袖で、帯は格調高い袋帯、半襟、

   帯揚げは白、帯締めは白または金銀の組み紐が適当です。


   男性は昼ならモーニングコート、夜は燕尾服かタキシードですが、ダークスーツで代用してもいいでしょう。

   姉は既婚なら留袖、兄は父親に準じますが、年齢が若い場合はブラックスーツでもかまいません。

   妹は、新婦よりも控えめに一歩下がったおしゃれを心がけましょう。

   弟は社会人ならブラックスーツが適当です。

   子どもの場合は、学校や幼稚園の制服がフォーマルになります。


   祖父は新郎新婦に近い立場ですから、媒酌人や父親の装いに合わせますが、

   叔父やいとこなら、ブラックスーツでもかまいません。


  ④招待客の服装

   披露宴の主役はあくまでも新郎新婦であり、招待客の女性が花嫁よりも華美な装いをするのはマナー違反です。

   花嫁の色である白やオフホワイト、不幸を連想させる黒ずくめの服も不適切です。

   また、列席者の年齢層も職業も幅が広い披露宴では誰からも好感を持たれるような装いにすることが肝心です。

   あらかじめ、友人同士で相談するとよいでしょう。


   洋装の場合は、無地のワンピースやスーツが基本で、女性なら昼は肌の露出の少ないもの、

   夕方からは華やかなドレスにするのが通例です。特に挙式にも参列する場合は、必ず肌を露出しない装いにします。

   アクセサリー類は、昼は光るものや派手なものは控え、夜は逆に光沢のあるものがいいでしょう。

   
   室内では帽子をとるのがマナーですが、洋服とセットになった、つばのない礼装用帽子はそのままでもかまいません。

   手袋は乾杯する前に外して、バッグと一緒に椅子や膝の上に置き、テーブルの上に置かないようにします。

   
   和装の場合は、未婚女性なら振袖、既婚女性は色留袖や訪問着にします。

   未婚でも三〇代になれば既婚女性の服装で問題ありません。

   また、招待状に「平服でお越しください」と書かれていたら、女性はワンピースかスーツ、

   男性はダークスーツに光沢のあるネクタイなどが無難です。

  「平服」は普段着のことではないので、少しおしゃれな外出着といった雰囲気を出すとよいでしょう。





▶️ 招待客のマナー

  ①招待状を受けたら
   

   招待状を受け取ったら、できるだけ三日以内に、遅くとも一週間以内には出欠の返事をしましょう。

   必ず同封されている返信用のハガキを使い、電話などでの口頭の返事はマナー違反です。

   すぐに出欠が決められない時は、欠席にしておく方が無難ですが、出席したい気持ちがあるなら

   先方にその旨を伝え、相談しましょう。欠席の返事を出す場合は、相手の気持ちを考えて少し遅めにします。

   また、簡単でよいので欠席の理由も書きそえます。


   結婚式の日が身内の不幸と重なった時は、両親や子どもなら四十九日か三十五日の忌明けまで、

   祖父母、兄弟姉妹なら初七日まで出席を控えます。法事の場合は、“忌み事”とは考えないので、

   主催者でなければ披露宴に出席してもかまいません。



  
②受付でのマナー

   披露宴が始まる30分前には会場に到着し、開宴15分前までに受付を済ませましょう。

   受付に行く前にコートや手荷物をクロークに預け、化粧室で身だしなみを整えておくのがマナーです。

   受付の人は新郎新婦の代理なので、親しい友人であってもあまり話しかけないようにします。

    「本日はおめでとうございます」としきたり通りにお祝いの言葉を述べ、

   新郎新婦のどちらから招待されたかを告げ、招待へのお礼を述べて芳名帳に必ずじぶんで記帳します。


   夫婦で出席する場合は夫が姓名を、その横に妻が名前を書きます。


   お遅れていくのは失礼ですが、やむを得ない理由であらかじめ遅刻することがわかっている場合は、

   招待者に断って出入り口に近い席を取ってもらい、入場時には目立たないよう静かに入り、

   同席者にお詫びをします。


   お祝いの仕方は、正式には品物や現金は事前に本人の自宅に配送したり、持参するものですが、

   お祝い金であれば当日、会場に持っていくことが多いようです。

   ご祝儀は、ちりやほこりにまみれない“清い状態”で差し上げるために、袱紗に包みます。

   
   受付の前で袱紗をほどき、名前を正面に向けて受付の人に手渡します。

   お祝いの品を当日会場に持参するのはマナー違反です。



  
③会場でのマナー

  控室では、新郎新婦の両親に「おめでとうございます。


  本日はお招きいただきましてありがとうございます」と挨拶し、初対面の場合は簡単に自己紹介をします。


  新郎新婦への挨拶は、お祝いの言葉を述べたら、他の招待客に配慮してすぐに辞退するようにしましょう。

  
  控室で桜湯を出されたら、口をつける程度でかまいません。中の桜は食べないようにします。

  会場に入ったら、「右上位の原則」に則って、原則としては椅子の左側から座り、指定の席につきます。


  バッグは椅子の背と体の間か膝の上に置きます。

  同じテーブルの人とは自己紹介などをし、なごやかに歓談することを心がけましょう。

  スピーチ中は飲食を避け、スピーチに耳を傾けましょう。

  司会者が「召し上がりながらどうぞ」と言ったばあいでも、せめて同じテーブルの人が

  スピーチをしている時はきちんとききたいものです。


  スピーチも初めと終わりには拍手を忘れずにしましょう。

  披露宴の最中に中座するのはマナー違反ですが、やむを得ない場合はスピーチ中をさけ、

  食事の合間や歓談中、あるいはお色直しの時などに静かに席を立ち、周囲の人に軽く会釈をしながら会場を出ます。

  中座の合図として、ナプキンは椅子の上に置き、食事中であればナイフとフォークを皿の上に「ハ」の字に置きます。



  披露宴が終わったら、同じテーブルの人たちと挨拶を交わしてから席を立ち、レシービングラインで

  見送る新郎新婦や両親、媒酌人などに、招待のお礼を述べて辞去します。

  披露宴会場への入退出は、原則として招待客の上位者や年長者を優先させます。


  ※二人の門出を祝う披露宴会場では、新郎新婦の知人。友人として恥ずかしくないような言動が求められます。

  言葉遣いや立ち居振る舞いを丁寧にしましょう。




▶️ 「葬」のしきたり

  ◎「葬送儀礼」の昔と今

   葬儀とは「葬送儀礼」の略で、臨終を迎え、葬儀(葬式)、服喪、墓参りなどの一連の通過儀礼をさします。

   葬儀は通夜から始まり、葬儀、告別式を経て、出棺、火葬へと続くのが一般的です。

   かつて、葬儀を行うのは貴族や僧侶、武士といった身分の高い人に限られ、庶民は念仏を唱える程度でした。

   しかし江戸時代に入り、幕府の宗教政策によってすべての人が菩提寺を持つようになると、庶民の間でも

   簡素ながらも葬儀が行われるようになりました。

   明治時代になると、墓地に埋葬するために財力のある承認たちは競って派手な「葬列」を組むようになり、

   それに対応する専門の業者が現れました。

   しかし、市街地での火葬や埋葬が禁じられるようになったことと、大正時代に霊柩車が出現したことで、

   葬式の形式は「葬列」から「告別式」へと変わり、葬式には豪華な祭壇を飾るようになりました。


   今のように葬儀業者が葬具を貸し出したり、葬儀全体を

   取り仕切るようになったのはこの三、四〇年のことです。また、都市化、核家族化などによって、

   地域の共同体意識も薄れ、自宅で葬儀を執り行うことよりも、専用会場で行われることが増えてきました。


   葬儀には、仏式、神式、キリスト教式、無宗教式などがありますが、それぞれにしきたりは異なります。

   また、最近は故人を偲ぶことに重点がおかれ、宗教色を排した「お別れの会」なども増えつつあり、

   散骨や生前葬などの新しい形の葬儀も生まれています。これまでの葬儀は仏式が大半でしたが、

   葬式は通夜の翌日に行う「葬儀式」とい「告別式」を指します。


   葬儀式は宗教儀礼で、仏式なら僧侶の読経、キリスト教なら神父や牧師のミサを伴い、

  「告別式」は焼香や献花をして故人とお別れをする儀式なので、

   無宗教による葬式は告別式のみを行うことになります。


   神式の場合は、「神葬祭」と「葬場祭(告別式)」に分かれます。

   どのような形式で葬儀を行うかは、故人の信仰や信条、意思を尊重して決めましょう。




▶️ 祭儀・告別式でのマナー

   ① 弔問の服装

   〈女性の場合〉

    一般参列者は、和装では小紋などに黒帯をしめる略喪服で、草履とバッグも黒にします。


    洋装ではブラックフォーマルや黒のワンピース、ブラウスとスカートの組み合せを着用します。

    通夜や、ホテルなどで行われる「お別れの会」では、グレーなどの地味な色のスーツやワンピースなどにします。

    ストッキングは黒で、コートやバッグも黒や地味な色のものにしましょう。

    ロングヘア―の人はすっきりとまとめ、髪飾りは避けた方がぶなんですが、つけるなら黒にします。

    化粧は控えめにし、香水はつけないのがマナーです。アクセサリーは原則的に、結婚指輪以外は外します。

    パールは許されていますが、控えめな印象を心がけ、ネックレスなら一重のものにします。

    四十九日までの法要も同じです。


   〈男性の場合〉

    男性は、通夜・葬儀とも、遺族や近親者でも準喪服であるブラックスーツでかまいません。

    ワイシャツは無地の白で、ネクタイ、靴下、靴は黒で統一します。

    ネクタイピンやカフスボタンは控えます。

    一般会葬者であれば、濃紺。

    ダークグレーなどの無地か、地味めのストライプなどのダークスーツでもいいでしょう。
 


   ②受付

    葬儀は厳粛な宗教儀式です。

    必ず開始前に会場に到着し、ゆっくりと着席して故人を偲ぶことができるよう、時間的な余裕を見ておきましょう。

    受付では係の人に「このたびは御愁傷様です」と簡単に弔意を述べ、香典を袱紗から出して差し出し、

    芳名帳に住所と名前を記帳します。

    すでに通夜に参列して香典を供えている場合は記帳だけにし、

   「お参りさせていただきます」と述べて式場に入ればよいでしょう。

    
    受付がない場合は焼香の際に祭壇に香典を供えます。

    中に入ったら、特に席の指示がなければ控えめな席につくとよいでしょう。

    葬儀に参列して告別式に参列しないのは本来はマナー違反ですが、

    やむを得ず辞去しなければならない場合は末席につき、

    葬儀から告別式に移る際に目立たないように退席します。

    その後、受付に挨拶してから帰るようにしましょう。

    香典を入れる不祝儀袋の表書きは宗教・宗派によって異なります。

    仏式は「御香典」や、浄土真宗の葬儀を除き、

    「御霊前」は宗派に関係なく使えます。

    浄土真宗では「御仏前」となります。

    神式は「玉串料」「御霊前」です。

    キリスト教式では「御ミサ料」(カトリック)「御花料」と表書きをします。



   ③出棺時のマナー

    告別式が終わったら、喪主の挨拶の後に出棺となります。特別な事情がない限り、最後まで見送りましょう。

    柩が運び出されたら、コートやショール類は脱いで腕に掛け、霊柩車が動き出したら合掌し、

    祈りながらゆっくり頭を下げて見送ります。


   ④霊柩車が走り去ったら自由に帰ってもかまいませんが、故人を偲ぶ気持ちを最後まで忘れず、

    帰りを急いだりしないようにしましょう。


    
    故人の噂話や死因にまつわる話題なども避けましょう。

   「清めの塩」は、死の穢れを清めるもので、自宅の門または玄関に入る前に、自分でふりかけるか、

    家族がいる場合は体にかけてもらいましょう。

    ただし、死を穢れと考えない仏式やキリスト教式の葬儀では必要ありません。

    葬儀が一段落したら、形見分けをいただくことがあります。事前に打診があったら、ていねいにお礼を述べて、

    なるべく好意を受け取りましょう。ただ、無理に受け取って、後で捨てたり人にあげたりすればかえって遺族を

    傷つけることにもなるので、丁寧に断る方がよい場合もあります。




   ⑤香典返し

    香典は、本来、霊前に供えるものなので、お返しをしなければならないものではありませんが、

   「忌明け」の挨拶状と共に香典返しの品物を送るのが一般的です。香典返しを贈る時期は、

    仏式では三十五日か四十九日の頃に、神式では三十日祭か五十日祭の頃です。

    キリスト教には「忌明け」の習慣がないため、一か月後の昇天記念日や記念式の日に、

    故人を偲ぶ品物を贈ることが多いようです。

    香典返しの目安は、いただいた香典の額の半額から三分の一程度です。

    香典の額に応じて変える場合もあれば、一律に同じ物を贈ることもありますが、

    弔電をいただいた方への香典返しは必要なく、礼状を出します。

    故人の意思で、香典を寄付した場合は、忌明けに送る挨拶状に寄付先などを書き添え、

    香典返しはしません。香典返しを受け取った人は、特にお礼の必要はありませんが、

    受け取ったことを相手に連絡するために喪中見舞を兼ねた手紙を書きましょう。

    親しい間柄であれば、電話でもかまいません。


    ※葬儀・告別式では故人の死を悼み、敬意を捧げるとともに、

    遺族には哀悼の意が伝わるような控えめで慎み深い言動や服装が求められます。




▶️ 法要のしきたり


   ①仏式の法要
    死者の冥福を祈り、その霊を慰めるために行う儀式が法要(法事)です。故人がなくなってから四十九日までを

   「中陰」または「中有」と言います。これは、この間に遺族が一所懸命供養すれば、故人は生まれ変わってくる


    という、インドの輪廻転生の考え方が基になっています。中でも死亡した日から七日目に行われる

   「初七日法要」と、「四十九日 (七七日) 法要」が重要です。最近は、火葬場に僧侶が同行し、

    火葬直後の遺骨迎えの儀式とあわせて「初七日」を行うケースが増えています。

   「四十九日」は、「満中陰法要(まんちゅういんほうよう)」とも言い、遺族、近親者、友人、知人を招き、
 
    僧侶の読経の後、忌明けの宴(精進落とし)を催します。併せて納骨を行うことも多く、法要の中では重要で、

    四十九日が終われば忌明けの挨拶状や香典返しを贈ります。


  
②「月忌法要」と「年忌法要」

   「月忌(がっき)」とは、“月命日”のことで、毎月、故人の亡くなった日と同じ日に故人の好物などを


    墓や仏壇に供えて家庭で供養します。故人が亡くなった日と同月同日の命日は「祥月命日」と言い、

    年忌法要を行います。死後満一年の命日は「一周忌」、一周忌の翌年つまり死後満二年目に

    「三回忌」を行います。その後は、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、

    三十三回忌、五十回忌と続きますが、三十三回忌までで終わりにするのが一般的です。


  
③法要の服装・供物料

   遺族は、通常一周忌までは正式な喪服を着用し、それ以降は地味であれば平服でもかまいませんが、


   参列者よりも簡略な服装のならないように注意します。法要に招かれた参列者は、初七日、四十九日、

   一周忌までは告別式と同様に準喪服を着用し、それ以降は平服でもかまいません。線香や果物などの

   供物を持参するか、そのかわりに供物料を現金で持参します。

   表書きは「御仏前」か「御供物料」とします 一般的に香典の半額程度が目安ですが、会食のもてなしも

   あるので、それに見合う額を直接遺族に差し出します。


  
⏩️神式の霊祭

   神式では「霊前祭」という儀式が、仏式の法要にあたります。葬儀の翌日の「翌日祭」に続き、


   亡くなった日から五〇日目までは一〇日ごとに「十日祭」が行われます。

   「五十日祭」が仏式の忌明けとされ、その後は「百日祭」「一年祭」「三年祭」「五年祭」などと続き、

   「十年祭」から「五十年祭」までは一〇年ごとに行います。参列者の服装などは、基本的に仏式と同じですが、

   焼香の代わりに玉串奉奠をしますので、供物料の表書きは「玉串料」「御供」とします。※霊祭(れいさい)、

   あるいは御霊祭(みたままつり)と言います。


  
⏩️キリスト教式の追悼ミサ。記念式

   カトリックでは、仏式の法要にあたる儀式として「追悼ミサ」があります。死亡した日から三日目、


   七日目、三〇日目、一年目などに協会で行います。また、プロテスタントでは、死後一週間か一〇日目、

   一カ月目の昇天記念日に、自宅か協会で「記念式」を行います。服装などは仏式と同じですが、供物については

   カトリック、プロテスタントともに花を供えるだけなので、現金を包む必要はありません。

   ただし、食事のもてなしがある時は、「御花料」として持参します。



▶️「祭」のしきたり

 ⏩️一月の行事


  ◎正月


  「正月」は中国から伝わった言葉です。昔の人は、新しい年は歳神様がつれてくるものと信じていました。したがって、


   一年の始まりである「正月」は、新しい歳神様を祀り、五穀豊穣や家内安全を祈るものでした。正月の中でも一月一日

   を「元日」。その日の朝を「元旦」「歳旦」と呼びます。年神様の「歳」は時間の区切りである「年」と年穀の豊穣を

   表し、農耕神とされています。宮中では、平安時代から正月の重要な儀式として「元日節会(がんじつせちえ)」が開か

   れ、現在も形式を変えて受け継がれています。また、江戸時代までは日暮れが新しい一日の始まりと考えていたため、

  「除夜の鐘」は大晦日ではなく、元旦にかかる行事でした。正月は日本人にとって重要な儀式だったので、お節料理、鏡

   餅、雑煮など多くの伝統的なしきたりが今も残っています。しかし最近は、核家族化の影響などもあり、正月行事すら

   も簡略化の傾向にありますが、季節感を大切にする日本特有の生活文化として後世に伝えていきたいものです。


  ①門松、しめ飾り

   歳神様は松の木に宿ると考えられ、門松は新しい歳神様を迎えるために門に飾られるものです。最近は略式のものが増

 
   えていますが、三本の竹を松で囲むのが正式で、門や玄関に向かって左側に雄松、右側に雌松を飾ります(松葉が細く短

   い方が雌松)。「しめ縄」は神社や神棚などに張り巡らせるもので、そこが神聖な場所であることを示しています。この

   しめ縄に、うらじろ(シダの仲間)、ゆずり葉、だいだいなどをあしらって「占め飾り」にします。家に災いをもたらす

   悪霊や不浄を絶つ願いを込めて、玄関の戸口の上に飾ります。しめ飾りの略式のものに「輪飾り」があり、門にかけた

   り、台所やトイレなど火や水を使う場所、勝手口などに飾ります。


  ②お節料理

  「節供(のちに節句)料理」とは、本来、季節の変わり目である節日(せちび)に、神様にお供えする料理(供御)のことで


   した。それが次第に、年中行事の中でも最も盛大に祝われる正月に振る舞われる料理だけを「おせち」と呼ぶようにな

   り、今日に受け継がれています。現在のような形になったのは、江戸時代の後半と言われています。料理の内容は地方

   によってさまざまですが、四段重ねのお重に、品数が奇数になるように詰めるのが基本です。一品一品は語呂を合わせ

   た縁起物で作られ、次のような意味が込められています。

  ・黒豆    一年の邪気を祓い、「まめ(健康)に暮らす」「まめまめしく働く」という意味
  ・数の子    多くの卵を産むニシンにあやかって、子孫繫栄を願う
  ・田作り(ごまめ) 昔、たんぼの肥料だった小魚にちなんで、豊作を祈願する
  ・昆布巻   「よろこぶ」の語呂合わせ
  ・鯛   「めでたい」に通じる
  ・ごぼう    地下にしっかり根をはることから、「一家の土台がしっかりするように」と願う
  ・里芋    子芋が多い里芋にちなんで、「子宝にめぐまれるように」との願いがある
  ・紅白なます   紅白の色のめでたさと、大根には消化を助ける働きがある
  ・栗きんとん   きんとん(金団)とは「金がつまった」という意味で、豊かな一年を願う



  
③鏡餅

   鏡は神事にかかせないもので、鏡に見立てた丸餅を「鏡餅」と言い、神様の依り代と考えられています。飾り付けの仕方

   は地方によって違いますが、一般的には、三宝の上に奉書紙を敷き、「四手(紙垂)」と呼ばれる神事に使う切り込みを入

   れた白い紙を垂らして、長命を願う「うらじろ」と、後世にまで福を譲り家系が続いていくことを願って「ゆずり葉」の

   上にお餅を乗せ、その上に昆布、そして「だいだい(家が代々栄えることを願う)」を飾ります。地方によっては、縁起物

   の伊勢海老、熨斗鮑、扇子などを飾るところもあります。


  ④雑煮

  「雑煮」は本来、歳神様に供えた餅や供物を下げて一緒に煮たものを言い、正月に限定された料理ではありませんで


   た。地方によっては餅の形や、入れる具、だしの種類まで千差万別ですが、どれが正統ということはありません。その土

   地の特産品などが用いられていて、それぞれに特徴があります。関東では切り餅を入れたすまし汁、関西では丸餅を入れ

   たみそ仕立てが一般的ですが、あんこ餅を入れてぜんざい風にする地域もあります。


  ⑤屠蘇(とそ)

   中国から伝来した薬酒の一種で、不老長寿の妙薬とされています。家族の無病息災を祈り、日本では、日本酒かみりん


   に「屠蘇散」という漢方薬を混ぜてつくり、元旦に飲みます。新年の挨拶が済んだら、若い人から順にいただくのがしき

   たりで、年長者が年少者の未来にあやかって若々しくいられるようにとの願いが込められています。


  
⑥初詣

   年の始めに神社や寺院にお参りすることで、元々は、大晦日の夜に一家の主が氏神様の社に籠る「歳籠もり」がもとに


   なっています。やがて有名な神社に出かけたり、「恵方参り」(恵方とはその年の縁起がよいとされる方角で、恵方にあ

   る神社へ詣でると福が授かるとされた)などがさかんに行われるようになりました。


  ⑦書き初め(おもに一月二日)

   古くは宮中行事でしたが、江戸時代以降に習字がさかんになるにつれて広まりました。若水(元旦に初めてくんだ水)で


   墨をすり、恵方に向かっておめでたい詩歌を書くというものです。

  ⑧お年玉

   元々は、歳神様に供えた餅を下げ、年少者に分け与えたことから始まり、これを「年玉」と言いました。それが後にお金

   に代わりました。目上の者から目下のものに渡すのは「お年玉」ですが、目上の人に年始の挨拶として渡すのは

  「お年賀」です。



  
◎七草粥・人日(一月七日)

   一月七日は「人日(じんじつ)」と言われ、五節供(※)の一つとされていました。「人日」の由来は、古来中国でこの日


   にその年の“人間”の運勢を占ったことによります。またこの日は、「七草の節供」とも言われ、前日に摘んだ「春の七

   草」を七日の朝に包丁でたたいて粥に炊き込んで「七草粥」を食べます。その習慣は、宮中で一月一五日に食べられてい

   た、米、栗、きびなどの穀物粥(七種粥)のしきたりや、生命力の豊富な若葉を摘んで食べる「若菜摘み」の風習などが融

   合したと言われています。この日は「松納め」とも言われ、飾っていた松飾りなどを取り外し正月が終わります。(地方

   によって異なる)。元旦から松納めまでを「松の内」と呼び、歳神様がいる期間です。取り外した松飾りやしめ縄は、一

   月一五日の「どんど焼き(どんと焼き)」で燃やします。


  
◎鏡開き(一月一一日)

   供えていた鏡餅を下げ、雑煮や汁粉に入れて食べるものです。武家社会では「切る」という言葉を嫌ったため、「鏡開

   き」と言いました。餅は刃物を使わず、手や木槌などで割って調理し、主君と家臣が揃っていただきました。また、この

   日は仕事始めの日とし、商家では「蔵開き」、武家では「具足開き」、農家では「田打ち正月」と呼び、家族や主従の関

   係を深めるとともに、歳神様が宿っていた鏡餅を食べてそのエネルギーを蓄え、

   無病息災を願う気持ちも込められています。


  ◎小正月(一月一五日)

   古来、日本の正月は年始めの満月の日(旧歴では一五日)でしたが、中国の影響で新月を月の始めとするようになり、一月

   一日を元日として祝うようになりました。元日を中心とした「大正月」に対し、一五日を「小正月」とし、

   さまざまな行事や祭りが行われます。例えば、正月に飾ったしめ縄や門松を持ち寄って神社などで燃やすか
  
  「左義長(さぎちょう)」や「どんど焼き」は、正月行事が終わり、歳神様がこの煙に乗って帰っていくと考えられて

   いました。現在でも関西地方では、この日までが「松の内」とされています。また、正月に何かと忙しかった女性たちを

   ねぎらう意味で、「女正月」とも呼びます。


 
⏩️二~三月の行事

  ◎節分(二月三日頃)

  「節分」とは、まさに季節の分かれ目のことで、昔は、立春、立夏、立秋、立冬それぞれの前日をさしていましたが、

   次第に立春の前日だけをさすようになりました。こうした時期は疫病がはやり人々に災いをもたらすと考えられていて、

   邪気を祓う行事が行われてきました。豆まきは、宮中で行われる「追儺(ついな)の儀式」に由来すると言われ、鬼に見立

   てた邪気を、豆をまいて払うようになったのは室町時代になってからです。炒った大豆を神棚に供えた後、年男が「鬼は外、

   福は内」と唱えながら豆をまき、また、その豆を年齢の数(あるいは数え年の数)だけ食べて福運と無病息災を願います。

   いわしの頭をひいらぎの枝に刺して戸口にさす風習(焼嗅(やいかがし))は、今も地域によって残っていますが、これはいわし

   の異臭とひいらぎんぽ尖った葉先が鬼の侵入を防ぐというおまじないです。また最近では、恵方に向かって太巻きをかじり、

   福を呼ぶという関西地方の風習が広がっています。


  
◎初午(二月最初の午の日)

   七一一年(和銅四)のこの日に、京都の伏見稲荷大社に祭神を祀ったことから、稲荷神社の祭日となっています。初午詣の歴史

   は『枕草子』や『今昔物語』にも出てくるほど古く、稲荷は「いね」「なり」からなると言われ、農村では五穀豊穣を、漁村

   では豊漁を、都市部では開運や商売繫盛を祈り、愛知の豊川稲荷など全国の稲荷神社で祭りが行われます。ご神体の使いとさ

   れるキツネの好物の油揚げや稲荷寿司、お赤飯や、お神酒を供えたりします。


  
◎雛祭り・上巳(三月三日)

   現在は「雛祭り」として親しまれている「桃の節句」は、雛人形を飾り、菱餅、ひなあられ、白酒、桃の花などを供えて女の

   子の成長を祝う行事です。もともとは旧暦三月の最初の巳の日は「忌日」で、その日にお祓いをする古代中国の風習が日本に

   伝わり、変化したのです。当時日本では、季節の変わり目に人の形をした紙(形代)で体をなでて穢れを移し、それを川や海へ

   流して災厄を免れるという貴族の儀式が生まれました、その「形代」が次第に立派な人形になるのは室町時代のことで、川に
  
   流さずに家で飾るようになっていきました。江戸時代になって五節句の一つとなると「雛祭り」は庶民の間に広まり、現在の

   ような雛壇が登場したり、豪華な観賞用の飾り雛が作られるようになりました。雛祭りのお供えや祝い膳には、それぞれ

以下のようないわれがあります。

   ・桃の花、白酒    中国で桃の木は邪気を祓う力があるとされ、桃花酒を飲んだことが由来
   ・菱餅   宮中で食べられていたひし形の餅。三食は「雪がとけ、緑が芽吹き、花が咲く」を表す。
   ・雛あられ   もとは菱餅を細かく切ったもの
   ・ハマグリも吸い物  ハマグリの殻が同じ貝同士としか合わないことから、女性の低層を表す
   ・ちらしずし   女の子の健康を願い、海や山の幸を使ったという説がある


  
◎彼岸(三月中旬、九月中旬)

   春分の日と秋分の日を中心に前後三日間の一週間を「彼岸」と言います。彼岸は仏教用語で、悟りを開いて涅槃となる。


   “向こう岸(あの世)”のことです。この時期が先祖供養の日になったのは、春分の日と秋分の日は昼と夜の長さが

   同じになるという「中庸の思想」と、この日に太陽が真西に沈むことから「西方浄土の信仰」と結びついたためと

   言われています。彼岸の初日は「彼岸の入り」と言い、祖先の霊を迎えるために仏壇や墓の掃除をし、

   だんごやぼたもちを作り、花とともに供えて供養します。春分の日は「彼岸の中日」、最後の日は「彼岸明け」と呼ばれ、

   その間に「彼岸会(ひがんえ)」という法要が行われます。彼岸に供えるお菓子に「ぼたもち」があります。名前の由来は、

   この時期にぼたんの花が美しく咲くことからで、同じものが秋の彼岸には市に時期に咲く「萩の花」からとって

  「おはぎ」と呼びます。


 
⏩️四~六月の行事

   
◎花祭り(四月八日)

  「灌仏会(かんぶつえ)」「仏生会(ぶっしょうえ)」とも呼ばれ、ブッダ(釈迦)の誕生日とされる四月八日に行われる仏教行事です。

   釈迦が誕生したとき、龍が現れて清浄な水を吐き、それを産湯にしたという伝説に基づいて仏様に香りをつけた水を注ぎかける

   行事となりました。水の代わりにお茶をかけるようになったのは江戸時代になってからです。お寺には、たくさんの花で飾られた

   花御堂が設けられ、その中に安置された釈迦の像に甘茶をかけます。


  
◎端午の節句(五月五日)

   「端午」とは、月の初めの午の日のことで、別名「菖蒲の節供」と言われます。旧暦のこの時期は季節の変わり目で疫病が

   流行りやすく、菖蒲などの薬草を摘んで邪気を祓う風習がありました。また農村部では、この時期に「早乙女」という田植えを

   行う女性が神社に籠って穢れを祓う儀式があり、それらが融合して、当時「端午」は女性を中心とした祭りでした。それが、

   「菖蒲」が「勝負」や「尚武」に通じることから、武士の台頭にともなって室町時代以降に男子の節供と変化し、江戸時代には

   五節供の一つとなりました。一九四八年(昭和二三)にこの日は「こどもの日」となり、国民の祝日に制定されています。

   鯉のぼりや兜、武者人形を飾ったり、粽(ちまき)や柏餅を食べ、菖蒲湯に入る風習があります。

    ・鯉のぼり 鯉が滝を登って龍になるという中国の伝説から、立身出世のシンボルとなった
・菖蒲湯 香りの高い菖蒲が邪気を祓い、無病息災を祈るもの
・柏餅 新芽が出ないと古い葉が落ちない柏の性質にちなんで、「跡継ぎが絶えない」として子孫繫栄を願うもの


  
◎衣替え(六月一日)

   衣替えは、季節感が豊かな日本ならではの行事です。西洋の服装のツールが“時間”で決められるのに対して、日本では

   “季節”により決まります。もともとは平安時代の宮中行事で「更衣」と言われ、旧暦の四月一日と一〇月一日が衣替えの日と

   されていました。その習慣が一般にも広がり、江戸時代には庶民であっても気候に合わせて日を定め、衣替えが行われていました。

   この伝統を引き継いで、和装は衣替えのルールが厳密に残っており、六月は「単」、七月から八月は「絽」や「紗」などの物、

   九月は「単」、一〇月から五月までは「袷」となります。六月と一日と一〇月一日の衣替えが一般的になったのは明治時代に

   なってからで、官公庁の制服や学生服などは、この日を境に冬服から夏服へと一斉に替えられていました。しかし最近では

   環境問題の影響などもあって、企業でもクールビズやウオームビズの思想が広がるなど服装の切り替えは流動的になり、特定の日を

   定めて服装を替える習慣は薄れつつあります。


  ◎夏至(六月二一日頃)

   夏至は一年のうち、もっとも昼(日照時間)が長くなる日です。昼がもっとも短くなる冬至と、昼夜が同じ長さになる春分、

   秋分の日とともに、古代より季節を分ける日として知られています。


 
⏩️七~一〇月の行事

  
◎七夕(七月七日)

   牽牛星(けんぎゅうせい、わし座のアルタイル)と織女星(しょくじょせい、こと座のベガ)の二つの星が、年に一度、


   天の川をはさんで逢うことを許されるというロマンチックな中国の星伝説と、二つの星を祀って裁縫や書道の上達を

   祈願した「乞巧奠(きこうでん)」、さらに日本古来の農村に伝わる「棚機津女(たなばたつめ、神様のために衣を

   織る女性のこと)」の習慣などが重なって生まれた行事で、五節供の一つです。「七夕飾り」の起源は平安時代の末期と

   言われていますが、江戸時代には現在のように願い事を書いた短冊を

   飾るのが一般的になりました。竹は成長が早く、それだけ願いごとも早く天に届くという考えから、

   笹竹が使われたようです。

   今は星祭りとしてこの日が晴れることを多くの人が望んでいますが、かつての農村部では、盆の行事の一環として、

   この時価の雨を清めの雨と捉え、短冊が流れるほどの雨が降ることを望んだそうです。


  
◎盂蘭盆会(七月一三日~一六日)

   盂蘭盆会(うらぼんえ)は、「お盆」「精霊会(しようりょうえ)」とも呼ばれ、先祖や死者の霊を家に迎えて


   供養する仏教行事です。サンスクリット語の「ウランバーナ」(さかさまにつるされた苦しみ)という意味を持ち、

   先祖の霊を供養することで、そのような餓鬼道の苦しみに遭わないようにとの願いが込められています。盆の期間は、

   地域によって異なり、新暦や旧暦、あるいは一月遅れの八月だったりします。また、地域や宗教によって

   盆の行事のしきたりはさまざまですが、「迎え火」を焚いて一三日の夕方までに精霊を迎え、一六日の夕方に

  「送り火」とともに精霊送りをするのが一般的です。宗派によっては仏教とは別に盆棚(精霊棚)を設け、

   精霊の乗り物を野菜で例えて“きゅうりの馬(早く帰るように馬を)”や“なすの牛(ゆっくり帰るように牛を)”

   を作り、花などを供えるところもあります。


  
◎重陽の節供(九月九日)

   「重陽(ちょうよう)の節供」は、桃の節供や端午の節供と比べるとなじみは薄いかも知れません。
 
   中国の陰陽の考え方では、偶数は“陰の数”、奇数は“陽の数”と捉え、最大の陽の数である「九」が

   重なる九月九日を「重陽」とし、たいへんめでたい日として延命長寿を願うようになり、平安時代に宮中行事となり、

   江戸時代には五節供の一つとなりました。重陽は別名「菊の節供」とも呼ばれ、この日に不老長寿の象徴である

   菊の花を浮かべた酒を飲めば長寿を得られ、災いを避けることができるとされています。それが時代を経て、

   菊見や菊人形などの形で菊を愛でることにつながったようです。また、この日は「御九日(おくんち)」と呼ばれ、

   秋祭りをするところも多く、その中でも「長崎くんち」は有名な祭りです。しかし明治時代になって暦が

   新暦に変わると、九月に菊の花が咲かないために次第に廃れてしまい、今日に至っています。


  ◎「十五夜」と「十三夜」

   日本や中国では古来より月を鑑賞する習慣があり、奈良や平安の時代には貴族の間で、月を見て詩歌を詠む宴が

   行われていたようです。その後、庶民の間に豊作を祈る行事として定着し、月は欠けても必ず満ちることから、

   不老不死の象徴となりました。特に旧暦の八月一五日(現在の九月一八日前後)は満月で美しく、この日を、

   月の満ち欠けにちなんで「十五夜」あるいは、秋の季節の中でもさらに真ん中であることから

  「中秋の名月」と呼びます。また、「十五夜」とともに旧暦九月十三日(現在の一〇月下旬頃)は「一三夜」と言い、

   昔は両方の月を愛でるのが風流とされ、どちらか一方だけの場合は「方見月(かたみずき)」と言って嫌われました。

  「一五夜」はこの季節の収穫物である芋にちなんで「芋名月」とも呼ばれ、「一三夜」は「栗名月」「豆名月」とも

   言います。三宝に月見だんご、里芋、栗などのほか「秋の七草」を飾り、お月見をします。

  ※秋の七草とは、「はぎ、ききょう、おばな、なでしこ、おみなえし、くず、ふじばかま」


 ⏩️一一~一二月の行事

  ◎文化の日(一一月三日)

   戦前は明治節(明治天皇の誕生日)と呼ばれ、宮中では明治天皇を偲ぶ儀式が執り行われていました。


   文化の日となったのは、一九四八年(明治二三)のことで、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日とされています。

   文化勲章の授与式をはじめ、芸術祭やさまざまなイベンが行われます。


◎新嘗祭・勤労感謝の日(一一月二三日)

  一九四八年(昭和二三)に「勤労感謝の日」と制定されましたが、この日は戦前、「新嘗祭」と呼ばれ、秋の収穫にあたり、

  その年に収穫した新穀(主に米)を天皇が神に供えて感謝する宮中行事です。農業が生活の基盤であった日本人にとっては

  新年にも匹敵する大切な行事で、天皇が即位して最初に行う新嘗祭を特に「大嘗祭(だいじょうさい)」と呼びます。

  名称が変わったことで、本来の意味も薄れがちですが、現在でも宮中では儀式として受け継がれています。


 
◎すす払い(一二月一三日)

  正月においでになる歳神様をお迎えするために、本来は神社仏閣の内外を清め、仏像のすすを払う行事でしたが、

  時を経るうちに現在の大掃除へと変化したようです。また、地域によってはこの日を「事始め」と言い、正月の準備を

  始める日にもあたります。


 
◎冬至(一二月二二日頃)

  冬至は一年でもっとも日照時間の短い日であり、この日を境に昼間の時間が長くなっていくことから、


  世界各地で“太陽の誕生日”として祝う風習があります。日本では、陰陽思想から、季節の中で「陰」の極点となる当時が

  過ぎると、再び「陽」に転ずるので、「一陽来復(いちようらいふく)」といって、春が巡ってくることや、めでたいことが

  訪れる象徴として祝いました。冬至を過ぎると本格的に冬が深まっていくことから、この日は「柚子湯」や

  「冬至かぼちゃ」など、体を気遣うしきたりがあります。柚子湯に入ると健康に過ごせると言われるのは、

  柚子の強い香気に邪気を祓う効果があるとされたためです。

  また、かぼちゃを食べると痛風や風邪を封じるという言い伝は、夏から保存できるかぼちゃには、冬野菜には

  少ないビタミン類が豊富に含まれているからで、医学的に根拠がないわけではありません。

  その他、れんこん、みかんなど、「ん」のつく食べ物を食べると“運”に恵まれる、という言い伝えもあります。 


 
◎大晦日

  一月から一一月の末日(正確には三〇日)を「晦日」または「つごもり」と言い、特に一二月の月末は「大晦日」と言います。


  「大晦日」までに大掃除を終え、遅くともその前日までには歳神様を迎えるために松飾りを飾ります。当日は“細く長く”
  
  家運が繁栄し、長寿であることを願う縁起をかついで「年越しそば」を食べ、除夜の鐘を聞きながら年を越すのが昔からの

  風習です。大晦日の夜は新年の朝でもあり、除日(じょじつ、旧年を除く日)とされています。そこから、大晦日につく鐘を

  「除夜の鐘」と呼ぶようになって鎌倉時代に広まり、江戸時代に盛んに行われるようになりました。昔は大晦日は歳神様を

  迎えるために終夜眠らずに過ごすのがしきたりで、歳神様を迎えずに寝てしまうのは失礼あたると考えられていました。

※日本にはさまざまな年中行事があります。これらは、暮らしの要である農耕作業の節目と、祖先の霊を崇拝する気持ちを表すために営まれてきたものです。「八百万の神」という言葉が象徴するように、日本人は昔から自然の中に神々の存在を感じ、自然や祖先に敬意と感謝を表しながら暮らしてきました。時代が変わり、季節感がうすれつつある時代だからこそ、祖先が育んだ年中行事の由来や変遷に思いをはせて、過去から受け継がれてきたしきたりを伝承することで、日々をつつがなく暮らせることに感謝の気持ちを持ちたいものです。


名称新暦の目安意味
立春 りっしゅん2月4日暦の上で春が始まる日。節分の翌日。
雨水 うすい2月19日雪氷がとけ、雨水となって降り出す頃。
啓蟄 けいちつ3月6日冬の間、土中にいた虫が地上にはい出す頃。
春分 しゅんぶん3月21日太陽が春分点に達して昼夜の長さがほぼ等しくなる日。春の彼岸の中日。
清明 せいめい4月5日草木が芽吹き、緑豊かになる頃。
穀雨 こくう4月20日春雨が降って、穀物の芽が成長する頃。
立夏 りっか5月6日夏が始まる日。
小満 しょうまん5月21日万物が成長し、草木枝葉が繁る頃
芒種 ぼうしゅ6月6日稲や麦など、芒(のぎ:穀物の堅い毛)のある穀物の種をまく頃。
夏至 げし6月21日太陽が最も高くなり、昼の時間が最も長くなる日。
小暑 しょうしょ7月7日本格的な暑さが始まる日。
大暑 たいしょ7月23日暑さが最も厳しい頃。
立秋 りっしゅう8月8日秋が始まる日。
処暑 しょしょ8月23日暑さがやみ、涼風が吹き始める頃。
白露 はくろ9月8日大気が冷えて、野草に露が宿る頃
秋分 しゅうぶん9月23日太陽が秋分点に達して昼夜の長さがほぼ等しくなる日。秋の彼岸の中日。
寒露 かんろ10月8日寒気で露が凍り始める頃。
霜降 そうこう10月23日秋が終わり、初霜が降り始める頃。
立冬 りっとう11月8日冬が始まる日。
小雪 しょうせつ11月23日初雪が降り始める頃。
大雪 たいせつ12月7日雪が降り積もる頃。
冬至 とうじ12月22日太陽が最も低くなり、夜の時間が最も長くなる日。
小寒 しょうかん1月6日本格的な寒さが始まる日。
大寒 だいかん1月20日寒い差が最も厳しくなる頃。